| ばいか | 梅花 | 梅の花びらの五弁をかたどった器。 |
| はいかつぎ | 灰被 | 窯の中で降灰や灰汁を被った意味で、灰蒙とも書く。天目茶碗の1種で、稀な景色が茶人に喜ばれている。現存する名物も多い。 |
| ばいかてんもく | 梅花天目 | 中国宋代の吉州窯で焼造され、日本に渡来した玳玻盞のうち、見込みに梅花を散らしたような切り型の文様がある茶碗をいう。 |
| はいかぶり | 灰被り | 窖窯や大窯などの薪窯で焼成中に薪の灰が製品に掛かり、それがガラス化して一つの景色になった箇所をいう。 |
| はいせん | 盃洗 | さかずきあらいのこと。献酬の際に、盃を洗うための水を入れておく器。 |
| はいだい | 杯台 | 杯を載せて、客に酒をすすめる台。円形で、底に高台をつけたものや、四角形で掛け盤のようなものなどがある。杯の台。 |
| はいちょうせきゆう | 灰長石釉 | 灰釉に長石を混ぜたもの。 |
| ハイデラバード | Hyderabad | パキスタン南東部、インダス川下流東岸の都市。綿花の集散地で、綿紡・陶器などの工業が盛ん。 |
| はいど | 坏土 | 一種類かもしくは何種類かの粘土を混ぜたあと、こね終えたもの。 |
| ばいびき | ばい挽き | ロクロでバイ貝の形に似た上部が少し広がった小さな器を平均した厚みで薄く引き上げる練習。 |
| はいゆう・はいぐすり | 灰釉 | 草木の灰を洛煤とした釉薬。最も基本的な高火度釉。土灰・藁灰などの種類がある。 |
| はいりこうぶんか | 裴李崗文化 | 中国華北の河南省黄河南側に広がる新石器時代早期の文化。1977〜79年に調査された裴李崗遺跡が代表的な遺跡である。発見された遺構は墓、灰坑、陶窯などで、墓からは伸展葬の人骨もみつかった。アワなどの炭化穀物類や豚、ヒツジ、犬、牛などの骨も出土しており、前5000年以前に農耕と家畜飼育がおこなわれていた可能性が指摘されている。土器は紅陶を中心に壺(つぼ)形、盆形、椀(わん)形土器など特徴的な種類がつくられていた。これらの土器の年代は、炭素14法により6種類の数値がだされているが、上限を前6000年とする説が有力である。 |
| ばいりんやき | 梅林焼 | 享保の頃、滋賀県膳所の陶商小田原伊兵衛が中之庄村梅林山の土を用いて焼いたが1代で廃窯。その後文政年間に至って梅林金三郎が焼いたという。茶碗・香合・花入などがある。 |
| パイロメーター | パイロメーター | 熱電対温度計のこと。焼成中の窯の中の温度を測ることができる。 |
| はかま | 袴 | 酒の徳利を据えておくための、方形または円形の筒型の器。 |
| はかまごし | 袴腰 | 鼎型の香炉のこと。 |
| はぎやき | 萩焼 | 長門国(山口県)萩の陶器。文禄・慶長の役の渡来来朝鮮陶工・李勺光と李敬により開窯されたといわれる。松本萩と深川萩の二系統があり、現在まで続く。藁灰質の白濁釉のかかった茶陶が特色。井戸写し茶碗・分銅形茶碗・沓形茶碗などに名物がある。割高台・切高台・桜高台など萩焼茶碗にはその高台に変化がある。徳利・盃・水指などにも名品がある。萩焼には〈萩の七化け〉ということばがあるぐらい、茶碗をはじめ、使っているうちに釉調が変化し趣がある。 |
| はぎやまやき | 萩山焼 | 尾張徳川家の御庭焼の一つ。12代藩主徳川斉荘が天保年間(1830-1844)に城内の御深井丸の萩山で焼かせた楽焼。 |
| はくあんちゃわん | 伯庵茶碗 | もと幕府の医師曽谷伯庵が所持していた黄瀬戸茶碗。この茶碗には伯庵十誓という約束がある。すなわち、1.枇杷色、2.生海鼠釉、3.浸み、4.高台方薄、5.高台縮緬絞り、6.ロクロ目、7.きらず土、8.茶溜り、9.小貫入、10.端反り。 |
| はくごうらい | 白高麗 | 明から清にかけて中国福建省で製した白磁。 |
| はくさんろ | 博山炉 | (「はくざんろ」とも)大海を形どる承盤(皿)と山岳を形どる蓋のある高坏(たかつき)形の身をもつ容器を組み合わせたもの。中国漢代から唐代まで使われ、青銅製が多く、玉・陶・鉄製もある。香炉と思われ、のちに仏前に置かれた。わが国では奈良時代に仏具として用いられた。 |
| はくじ | 白磁 | 磁器の一種。白色の素地に透明釉をかけ、高温で焼成する。中国では華北で6世紀に、朝鮮半島では10〜11世紀に、日本では17世紀に伊万里焼で始まった。 |
| はくでい | 白泥 | 朱泥の原料より酸化鉄の含有量が少なく、可塑性に富む粘土。酸化鉄の多い粘土を使用した場合に比べ、一般には色合いが薄く、淡黄色や淡鼠色になる。 |
| はくど | 白土 | 白色の土。しらつち。カオリンやモンモリロン石を主成分とする白色粘土。狭義にはモンモリロン石を主成分とする酸性白土をいい、窯業原料、医薬品、吸着剤、触媒など用途が広い。 |
| はくらくいん | 白楽印 | 楽家11代慶入が隠居後から没年まで用いた、いわゆる隠居印。「楽」字の上部の「白」が左右の「幺」の上に飛び出た形になっている。 |
| はけめ | 刷毛目 | 装飾法の一種。色土の素地に、刷毛で白泥などを一気に塗ったもの。刷毛の痕が残る。 |
| ばこうはん | 馬蝗絆 | 中国産の青磁茶碗。名物。伊藤東涯の『馬蝗絆茶甌記』によれば、平重盛が浙江省の育王山に黄金を喜捨した返礼に贈られた茶碗で、その後足利義政が所持し、ひび割れが生じたので中国に送り、代わりのものを求めた。しかしそのような名器は、中国にすでになく鎹(かすがい)で止めて送り返してきた。その鎹を大きな蝗(いなご)に見立て、この銘がつけられたという。 |
| はさみあと | 鋏痕 | 黒楽や瀕戸黒などを焼くとき茶碗を挟みだしたり、また窖窯の色見孔から引きだすとき、鋏や火箸の痕が釉面に残るものをいう。 |
| はさみやき | 波佐見焼 | 長崎県波佐見町の磁器。有田焼としてかなりの量が出荷されている。16世紀末の唐津系の陶器の生産に始まるが後に陶石の発見により磁器が中心となった。 |
| はじ | 土師 | 姓氏。古代の陵墓・土師器の製造に従事していた氏族で、土師部を率いた伴造。「はにし」とも訓む。天武一三年、連姓から宿禰姓に改められ、のち菅原氏と称して、同族は多く畿内に住み、秋篠・大枝などの諸氏を分立した。(「はにし(土師)」の変化)埴輪などの土器を作ることをつかさどった人。 |
| はじき | 土師器 | 古墳時代以後に焼かれた、赤黒い素焼の土器。 |
| はじべ | 土師部 | 大化前代の品部(ともべ)の一つ。埴輪(はにわ)、土師器(はじき)などの土器の製造をし、朝廷に貢納したもの。 |
| ばじょうはい | 馬上杯 | 長い足状の高台がついた杯。馬上で酒を飲むのにこの足を持って飲めることからの呼称。中国の青磁・白磁に多く、わが国では唐津をはじめとする肥前の窯にみられる。 |
| はしらがくし | 柱隠 | (「はしらかくし」とも)柱の表面に飾りとして掛けるもの。紙、竹、板、陶器などに書画を描いたものなど各種ある。はしらかけ。 |
| バス・タイユ | バス・タイユはシャンルベの一種だが、金や銀の素地にもちいられる。意匠に応じて、彫金や鍛金(たんきん)によって素地にさまざまな深さのくぼみをつけ、透明なエナメルをほどこすので、下の意匠がすけてみえる。彫りの深さによって、色の濃淡に違いがでる。 | |
| はぜ | はぜ | 石はぜのこと。素地の中に入っていた石が焼成中にはぜて、一つの景色になったもの。 |
| はだかやき | 裸焼 | 釉(うわぐすり)をかけないで、薄い水釉(みずぐすり)だけによる陶器。 |
| はたぞり | 端反り | 口縁部の端が、外側に向かって反っていること。 |
| ばだらい | 馬盥 | 馬を洗うときに使う盥の形に似て、縁が切り立った浅い茶碗をいう。長次郎作の黒楽平茶碗「馬盥」が知られる。 |
| はち | 鉢 | 皿よりは深く、碗よりは浅く、上部の広く開いた食器。主に、陶製のものをいう。暖をとるための火を入れる容器。火鉢。草木を植えこむための容器。植木鉢。 |
| ぱちこうだい | 揆高台 | 高台を側面からみた時、畳付にむかって太くひろがり、三味線の揆にみえるのでこの名がある。切高台になったものが多い。 |
| はちのこ | 鉢の子 | 托鉢僧の持つ鉄鉢形のものをいう。口縁を内にかかえ込んだ形で、赤絵茶碗や長次郎の楽茶碗などに見られる。 |
| はちのて | 鉢の手 | 高麗茶碗の一手。堅手茶碗の分類の一つ。大ぶりの高台から口部にかけて鉢のように開き、口縁はやや外に捻り返された形状で釉肌は淡紅色の地に白い斑紋が生じ、口辺に青白い釉頽れがあり、一つの景をなしている。江戸時代以来、茶人の間で堅手の中でも鉢の手と呼ばれ珍重された。伝世の代表作に「寒紅梅」がある。 |
| はちゃつぼ | 葉茶壷 | 抹茶壷を小壷と呼んだのに村し、これを大壷と呼ぶ。呂宋(るそん)の真壷が有名。 |
| はちろうで | 八郎手 | 幕末の九谷焼の金襴手の一作風。宮本屋窯の陶画工飯田屋八郎右衛門が完成させたことからこの名がある。 |
| はないけ | 花生 | 花を生ける器。金属製もあるが陶磁器では青磁の他、信楽、伊賀、備前などのものが有名。茶の湯では花生は欠かせない道具の一つで床の間に飾られるもののほか、床柱に掛けられるための掛花生も作られている。 |
| はないれ | 花入 | 花をいける器。材質は、金属、磁器、陶器、竹、木などがある。金属や磁器製のものは「真(しん)」の花入とされ、竹木製は「草(そう)」の花入としてあつかわれる。 |
| はなたて | 花立 | 花をさすための器。花入れ。花生け。 |
| バーナード・リーチ | Bernard Howell Leach | 1887〜1979 イギリスの陶芸家。東洋の伝統をふまえて20世紀の新しい陶芸様式への道をひらいた。1909年(明治42)に来日し、柳宗悦や武者小路実篤ら白樺派同人と親交をむすぶ一方、12年に6代目尾形乾山に入門して陶芸家をこころざした。20年浜田庄司をともなってイギリスにもどり、コーンウォールのセント・アイブズに窯(かま)を築造。従来の量産品にはない見事な光沢をもつ陶磁器、卓上の食器類、鉢(はち)、花瓶などを生みだした。作品は単純でがっしりとした形をそなえ、きらびやかな装飾をさけながら、土の特性を生かした表面にしあげられている。陶芸は機械的な制作ではなく、あくまで熟練した職人の手仕事であり、陶芸家はすべての工程を手でこなすべきだというのが彼の持論であった。第2次世界大戦後は、民芸運動を展開する柳宗悦や浜田庄司らと日本各地の窯場をまわり、しばしば個展をひらいている。 |
| はなみしま | 花三島 | 李朝時代に多く製した朝鮮の三島茶碗の1種。瓔珞の帯と菊や梅などの花紋の帯を交互に象嵌してある。わが国では八代・唐津など朝鮮糸諸窯で焼かれた。 |
| はに | 埴 | きめが細かくてねばりけのある黄赤色の土。上代、これで瓦、陶器を作り、また、衣に摺りつけて模様をあらわし、丹摺(にずり)の衣を作った。埴土(はにつち)。へな。赤土。 |
| はにわ | 埴輪 | 古墳時代に古墳の周囲に立てられた素焼の土製品で、今日では当時の生活・風俗を知る資料であるばかりでなく美術的にも評価される。 |
| はにわかまあと | 埴輪窯跡 | 古墳時代の九州から関東までひろくみつかっている。茨城県の馬渡(まわたり)埴輪窯跡では、6世紀の30以上の窯跡が工人集団の集落跡などといっしょに発見され、当時の組織的で系統的な埴輪生産の実態が明らかになった。大阪府の誉田(こんだ)白鳥・土師の里埴輪窯跡群は古市(ふるいち)古墳群の南部にあり、5〜6世紀の11基の窯で円筒・人物・盾・蓋(きぬがさ)などの埴輪がつくられていた。ここから、隣接する大型古墳群に計画的に埴輪が供給されていたことがわかる貴重な遺跡である。 |
| はふがま | 破風窯 | 瀬戸の茶入の一種。14世紀の四世藤四郎政連の作とされる。もしくはその作風に似る茶入で、黄釉や茶釉の景色が多い。 |
| はまだしょうじ | 濱田庄司 | 1894〜1978 陶芸家。神奈川県川崎市に生まれる。1916年(大正5)東京高等工業学校窯業科卒業後、京都市立陶磁器試験場にはいり、先輩の河井寛次郎とともに釉薬(ゆうやく)などの研究に従事。18年イギリス人陶芸家バーナード・リーチを知り、翌年には柳宗悦、志賀直哉とも交友がはじまった。20年リーチとともに渡英し、セント・アイブズに登窯(のぼりがま)をもうけて、本格的に作陶をはじめる。1924年に帰国すると、栃木県益子町に居をさだめ、柳とともに民芸運動を積極的にすすめた。洋の東西や新旧を問わず、用途に即してつくられた生活雑器の健康な美しさを吸収し、とくに作陶では、益子で一般的にもちいられていた陶土や釉薬をもとに、たくましく安定した独自の作風をきずいた。55年(昭和30)第1回重要無形文化財技術保持者に指定され、68年には文化勲章を受章した。 |
| はらさんけい | 原三渓 | 1868-1939年。実業家。横浜の本牧の広大な土地に三渓園という庭園を設け、伏見城の遺構・月華殿や臨春閣などを移築し公開した。 |
| はり | 針 | 粘土の板を切ったりアタリをとるのに使う道具。千枚通しみたいな形になっている。 |
| はりつけもん | 貼付文 | 器物の表面装飾の方法の1つで、鋳込みや型抜きによって、あらかじめ作っておいた素地を器物の表面に貼付け、釉を掛けて焼きあげた浮彫りの文様。薩摩焼や丹波焼に見られる。 |
| パルマ | Palma | 正称は、パルマ‐デ‐マリョルカ。地中海西部、スペイン領バレアレス諸島の主都。マジョルカ(マリョルカ)島の南西岸にある。軍事上の要地。陶器製造が盛ん。 |
| ばん | 盤 | さら。鉢。飲食物を盛る平たい器。食器などを載せる台。 |
| ばんこやき | 万古焼・萬古焼 | 元文(1736-1741)頃、現在の三重県三重郡朝日町小向に桑名の沼波五左衛門(弄山)がはじめた窯で古万古・弄山万古と呼ぶ。弄山はのちに江戸(東京)に招かれている。江戸で焼いたものを江戸万古という。ほかに有節万古・射和万古などがある。 |
| はんしゅき | 半酒器 | 酒器は、本来徳利2本と盃5客で一組になる。徳利1本と盃(猪口)2客の組のものを半酒器と呼ぶ。 |
| ばんしょうごき | 番匠呉器 | 高麗茶碗の一手。呉器茶碗の分類の一つ。大ぶりで丈が高く高台内は土見せで全体として引き締まっていない。呉器茶碗としては下手で番匠すなわち大工が使う木椀に似ているので名付けられたといわれる。 |
| はんす | 半使 | 桃山期から江戸期にかけて来日した朝鮮の官職名で、その人々が用いた茶碗を半使茶碗という。黄灰色に淡紅色の斑紋がある。呉器や熊川に近く高台のすぼみ気味なのが特徴。 |
| はんだげんさい | 八田玄斎 | 泉州八田村(大阪府堺市八田)の陶工。秀吉から天下一の号を賜り、焙烙造りで名をなした。見込みに「泉州八田天下一玄斎」の印を捺している。 |
| はんだほうろく | 半田焙烙 | 水屋道具の一種で灰器として使われる三足の土鍋状の器。泉州八田(はんだ)村で造られたことから呼ばれ、単に半田ともいう。楽焼や雲華焼が多い。 |
| ハンタン | 邯鄲 | 中華人民共和国ホーペイ(河北)省南西部にある新興工業都市。ペキン(北京)〜コワンチョウ(広州)間を鉄道がとおり、河北、ホーナン(河南)、シャントン(山東)、シャンシー(山西)4省の省境に位置する。周辺農村は綿花や小麦の主産地のひとつで、石炭や鉄鉱石を原料とする電力、鉄鋼、紡績、セメントなどの工業も発達している。1400余年前から磁器の生産がおこなわれ、現在も12の工場をもつ国内有数の磁器産地として知られる。面積は1万2062km2(市区は457km2)。人口は794万人(市区は121万人、1995年)。 |
| はんづつちゃわん | 半筒茶碗 | 筒茶碗といっているものの7分ぐらいの高さの茶碗をいう。楽茶碗に多い。 |
| はんでいし | 半泥子 | 川喜田半泥子。1878-1963年。陶芸家。祖業の木綿問屋の他に多くの事業に関係した実業家であったが、早くから書画、俳句、茶道の生活に入った。津市の自宅に楽窯をつくり、特に茶陶に打ち込んだ。 |
| はんねら | ハンネラ | 南蛮焼の一種で江戸時代に多く輸入された土器質のやきもの。形状によって水指、花入、建水、灰器などに用いられた。また蓋だけを替蓋として使うこともある。 |
| はんのうやき | 飯能焼 | 埼玉県飯能市で焼かれた陶器。天保元年(1830年)に、双木清吉という人物が原土を発見し、信楽から陶工を招いて始まる。雑器を主につくった。 |
| ばんぽうぜんしょ | 万宝全書 | 1694年以後、数度にわたり刊行された江戸時代の美術辞典。菊木嘉保編。13巻13冊。 |
| はんよう | 藩窯 | 江戸時代、藩主によって経営された御用窯。藩主のためのものや幕府への献上、他藩への贈答用に焼いた。鍋島藩の大川内山窯が代表的。 |
| ばんれき | 万暦 | 中国明代の万暦年問(1573-1619年)に景徳鎮の官窯でつくられた磁器。初期のものは染付、赤絵ともに良質で、赤絵は万暦赤絵として知られる。 |
| ばんれきあかえ | 万暦赤絵 | 中国、明代の万暦年間に焼かれた赤絵磁器。 |
| ばんれきよう | 万暦窯 | 中国、明代の万暦年間の景徳鎮の官窯をいう。また、その時期そこで製した磁器。五彩が万暦赤絵として名高い。 |